本丸より(7)

<淋しさと自由さと>

ディノはいつでも私の最優先だった。
どんなことがあろうとも、ディノがまず問題だった。
去年の2月、ディノの発病と同時に、
翌日乗るはずだった日本行きのフライトをドタキャンした。
格安航空券だから払い戻しができないと言われても、
それがなんだ、と思った。

モナコグランプリの時も、直前までフライトを決めかねていた。
ディノの具合ひとつで、モナコグランプリなどどこ吹く風とばかり、
一抹の未練もなく諦めるつもりだった。
私はディノのためなら、たいていの物事は諦められたし、
諦めることが惜しくもなかった。

だけど、そのディノを諦める決心をするのは、大変だったし、
その実、今でも、私は諦め切れていない。

ディノの担当医の先生から、あと24時間の治療で改善の兆しがなければ、
もう“決断”つまり、苦しまない間に眠らせてあげたほうがよいのでは、
と聞かされていた。
どんなに楽観的になろうとしても、なれない状況が目の前に横たわっていた。

ICU、集中治療室で昏睡に陥って荒い寝息をたてながら眠っているディノを前に、
私はディノの頭をなでながら、ディノの先生を見上げてつぶやいた。
『ディノが話しをすることができるなら、私はディノに聞きたい。
ディノは私にどう決めて欲しいかって。』

私はその日、ディノのお気に入りのアライグマのぬいぐるみを持参していて、
昏睡なら、もうわからないだろうけど…と言いながら、眠るディノの横に置いた。
ディノはそのアライグマの短いシッポをくわえて振り回すのが好きだった。

そのアライグマはそれからICUのケージの場所が変わっても、
先生がディノの枕元に必ず置いてくれて、
ディノの最期の瞬間まで、ディノの枕元にかわいらしく座っていた。

ディノがいなくなってみると、
ディノは私にいくつかの「自由」を残してくれていた。

私は好きな時に、好きなだけ、部屋を留守にすることができるだろう。
ディノの体調一つで、フライトをキャンセルすることもない。
雪の日に、滑って転びそうになりながら、
ディノの好物のニンジンを買いに八百屋までいくこともない。
ズッシリと重い「肝臓食」のドッグフードを病院から抱えて買ってくる必要も
もうない。

こっそりバナナを食べているのをディノに見つかって、
結局分け合って半分しか食べられないようなことも、もうない。
雷の鳴る夜、怯えるディノに起こされて、
フロアーにマットを敷いて添い寝して、風邪ひくこともない。
風邪をこじらせて咳き込みながら、高熱でふらつく体で起き上がり、
ディノの水を換えたり、食事を与えたり、
トイレの掃除をする必要も、もうない。
留守中にディノが遊んだおもちゃを拾い集めて片付けることも、もうない。

だけど、私はそれらを今まで一度も「不自由」だと感じなかった。

ディノは突然、私にそんな淋しい「自由」を残して逝ってしまった。

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